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zoom RSS 往復書簡(4)  H君との交流・・・・ Go

<<   作成日時 : 2011/07/30 15:55   >>

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豪さん、琳子さん

こんにちは。Hです。


返事が遅くなってしまいすみません。ここ数日旅行に行っており、バタバタしておりました。

いま漸く落ち着いて、豪さんのメールワークショップについて考えられているところです。


親殺しの時。
僕は真の意味での自立、と捉えていますが、いかがでしょう。

経済的にも、精神的にも、全てにおいて自立する。

自分の力で自分の人生を歩き出す。
そこに親の意図や願いは関係ない。その一歩を歩き出すことが親殺しなのではないでしょうか。

必ずしも豪さんのように悲しい出来事を伴わないかもしれません。

自分のやることに親が賛同してくれるかもしれない…

しかし、そんなことを考える時点ではまだ親殺しはできていない。

親の賛同、支持不支持、意見、圧力、全てから解き放たれたとき、親殺しは完成するのだと思います。

もしこのような認識で間違っていなければほんの少しですが、想像はつきます。

もし違っていれば、、、僕にはまだ分からない世界です。


俳優、ですか。

正直今まではあまり考えてきませんでした。

俳優になりたい自分はいます。

一方で、俳優としてではなく、演劇をツールとして社会に役立てたいという自分もいます。

僕の周りで演劇をやっている人間はすべからく明るい人間が多いのです。

そして、今まで暗かったのに、演劇を通じて人生が変わった友人もいます。

そこから僕は、何かしらのエネルギーを演劇は持っていると確信しました。

なんだか、演じること、表現することを通じて、よりよい人生を歩める気がするのです。

僕だけでなく、その人が。

ですので、自分が演じたい欲求がある一方で、他のより多くの人に演じさせたいという欲求もあるのです。

どちらが強いのか、どちらにより進みたいのか、正直まだ分かりません。

ただ、確実なのは、絶対に演劇、表現、それに関することをしたい。ということと、

まだまだ自分は表現、芝居については無知だということ。この二つです。


豪さんの言うように、俳優になりたい自分は確かにいる。
それはなぜかを考えて見ます。

こちらの欲求は、シンプル。と思っています。

演じているときが本当に楽しいから。達成感、快感を得られるから。です。

そして人に見られたい自分がいるからです。褒められることが気持ち良いからです。

自分をみて、感動してくれるお客さんが多ければ、自分もより快感を得られるからです。

だから俳優になりたい自分が居るのだと思います。




以上が回答になります。
あまりまとまりがなくてすみません。思うままに書いてしまったので。
どうでしょうか。。。




アーティストの方とは一度会いました。
意気投合したので、これから関わり合いが強くなると思います。
その件は追々また報告させていただきます。




メールワークショップ、嬉しいです。
こちらでできることはなんでもしたいと思っていますので、よろしくお願いします。


くれぐれもお体にはお気をつけて。
では、本日はこの辺にて失礼いたします。





H様

斉藤です。

お返事を書こうと思いながら、周辺がばたついており遅くなりました。

『親殺しの時。
僕は真の意味での自立、と捉えていますが、いかがでしょう。』

私の場合、もっと深いものであった気がします。



また、神話を引き合いに出すことをお許しください。

神話には「再生」が、よくモチーフとして登場してきますが、

まさにこの「再び生まれる」状態なのではないかと思います。



私は、多分「息子」としての役割を終えて、一度死んだのだと思います。

そしてようやく「斉藤 豪」という一個の人間の「生」をいき始めたのだと思います。



実人生における出産には壮絶な痛みが伴いますが、再生にも同様の痛みが伴い、

こうした経験を古の人々は「再び生まれる」と名づけたのだと思います。



『経済的にも、精神的にも、全てにおいて自立する。自分の力で自分の人生を歩き出す。』

この言葉の中には、ホームレスとなって野垂れ死ぬかもしれないという覚悟は無いと思います。

しかし、今の私の人生で、表現の道を進むとは、こうした状況もありえると考えています。

それでも、再び息子の立場に戻ることを潔しとしません。



表現を志すものは、経済的に恵まれません。

老後の計画を立てることも難しい状況にあります。

40代半ばまで着実に積み重ねていた老後の計画をすべて捨て去って、裸になってしまった自分には、親の金は、実に大事な老後の蓄えとなるはずでした。

でも、その代償はあまりに大きく、表現者としての死を意味します。

自分の魂を金で売り渡すことはできないのです。



勿論、琳子という最愛の妻がいますので、死に物狂いで働きますが、

社会の大きなシステムの中では、個人の意志など意味を持ちません。

ただ、表現者として、人間として・・・「生きてはいるが、死んだも同然」の状態だけは避けなければなりません。



『親の賛同、支持不支持、意見、圧力、全てから解き放たれたとき、親殺しは完成するのだと思います。』




通過儀礼というものを人間は生み出し、長い時を経て受け継いできました。

それは洋の東西を問わず存在し、世界中で身体的に痛みを伴うものでした。バンジージャンプもその一例です。

熊を独力で殺すとか、生命に関ることまでした人々もいました。




通過儀礼はなぜ、うまれたのでしょうか?

成人式も通過儀礼の1つですが・・・・

日本がだめになった大きな理由の1つは、通過儀礼が形骸化したからに他なりません。




なぜ、大人となるための関門として、身体的に苦痛を伴う儀式をしなければならなかったのでしょうか?

親殺しは壮絶です。




ひとり立ちするためには、この壮絶な痛みを受け止め、耐え、一人傷を癒して、立ち上がらなければならないのです。

それがないと親殺しはまっとうできず、自分の人生を歩むことはできないからです。




人間は、時代を経てもそう変わっていません。

かくゆう私も、この年齢までその痛みを受け入れることができなかったのですから。

根性のなさも、ここに極まれりってな感じですね。





Hさん・・・これだけ認識していればいいと思います。

いつかあなたにも「親殺し」のときが来る。そのとき、うろたえることは無い。ただ進めばいい。

大きな痛みは伴うが、それに勝る、生きている実感がある。




そのときが来たら、神様が、あなたの準備が整ったことを認めてくださったと思い、真摯に受け止めればいい。

ただ、それだけでいい。




もし、そのとき、自分の今生の生を分かち合える心からの伴侶がいれば、ただ祝えばいい。

それが親殺しなのだから。



前回の問い・・・なぜ俳優になるのか?

『俳優、ですか。
正直今まではあまり考えてきませんでした。
俳優になりたい自分はいます。
一方で、俳優としてではなく、演劇をツールとして社会に役立てたいという自分もいます。』




俳優とは、不特定多数の人間の注目や愛情を求めてやまない人種・・・

ではなぜ、それほどの注目や愛情に対して、飽くなき欲求があるのか・・・・

それは、親から安定した、信頼に足る愛情をもらえなかったから。

そして、その欠如を埋めるため、不特定多数の人間の愛情や注目を求めてやまないのです。




親から安定した、信頼に足る愛情をもらえなかったことは、実人生では非常に大きい損失です。

事実、こうした愛情が無いと、自分に対する自信も生まれてきません。



芥川 龍之介の「その人間の運命は、その人間の性格の中にある」の言葉は、正鵠を得ています。



私も、実に自信の無い男でした・・・

過去形にしたのは、自分の人生をすべて受け入れようと思い、親殺しを実行した時から

自信がないというのは、逃げのための言い訳でしかないことに気づいたから。

後悔しないために、自信がないなど絶対に言い訳にはしない。 これこそが親殺しの効用なのでしょう。




でも、面白いと思いませんか? 

自分にとって大きな損失となるはずのものが、実は、表現のための大きなモチベーション・・・

絶対的な必要条件になっているのですから。





更に神様のいたずらで、不特定多数の人間の愛情や注目のみを追い求めると、表現からは大きく隔たってしまします。




なぜ、人間はアートを生み出したのでしょうか?

それは対象を深く観察することで、生まれてくる気づきや発見があるからです。

この発見や気づきがなければ表現もありえません。



アートとは観察の果ての表現に他ならないのです。



今の演劇を志す人々のほとんど多くは、このことに気づいていません。

アートはマスターベーションとは違います。

不特定多数の人間の愛情や注目がほしいだけでは、それはマスターベーションに堕してしまいます。



Hさん、ここを間違えてはなりません。

人間を知ろうとする飽くなき欲求こそ、芸術の発露であり、

安定した、信頼に足る愛情の欠如=心の穴こそが、表現へのモチベーションであり、

人間観察のモチベーションなのです。




『僕の周りで演劇をやっている人間はすべからく明るい人間が多いのです。そして、今まで暗かったのに、
演劇を通じて人生が変わった友人もいます。そこから僕は、何かしらのエネルギーを演劇は持っていると確信しました。
なんだか、演じること、表現することを通じて、よりよい人生を歩める気がするのです。』



その通りです。人間や人生に対する洞察が深まれば、日々の暮らしは刺激に満ちたものとなります。

毎日が冒険となります。


今の私達の生活がまさにこれです。危ない意味も含めて「どきどき」の連続です!!!

これはお金を出しても手にいれられるものではありません。



芝居をすることで、コラボレーションの真の意味や、他人への愛情など多くの気づきがあります。

それは物質的な意味ではない、精神的な豊かさを与えてくれます。

演じているときが本当に楽しいから。達成感、快感を得られるから。です。


まさにa Play is a playですよね。



今日、芸術文化振興基金から「Lost Technology」のための助成金と、小谷田楽のための助成金が授与されることが決定しました!!!!

この話は、また後日。「Lost Technology」の話は、演劇とも実に深い関係があります。



もう1つ、お願いがあるのですが、このメールワークショップをブログで公開させていただくことは可能でしょうか?

これを読んでいる琳子が、私達のやり取りを二人だけのものにしておくことはもったいないと隣で叫んでいます。

勿論、Hさんのお名前は伏字にして、まずメールでHさんが、一番最初に読んでいただき、その後に公開するという形をとらせていただこうと思ってます。

いかがでしょうか?

私としても、Hさんとのやり取りは実にエキサイティングで、琳子のいうことも分かるのです。

ご検討いただければ幸いです。

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