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zoom RSS Rinkoです。「役者」であること・・・

<<   作成日時 : 2011/04/03 16:02   >>

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ご無沙汰です。Rinkoです。
すっかりMiharuさんにまかせっきりになっておりました。
久々に書いてみようと思うと、よりプレッシャーを感じてしまいますね・・・

先日、静岡芸術公園へ3日間滞在し、稽古〜本番を見せていただいてきました。

ラインナップは以下のとおり↓

shelf「芝居」(ベケット)
花傳[KADEN]「S高原から」(平田オリザ)
一徳会/K.A.G「オイディプス王」(ソフォクレス)
劇団渡辺「天守物語」(泉鏡花)

私はもう長年役者をやっているので(気が付けばプロになって19年!)、「演劇」を見るということは、
どうしようもなく役者としての私自身の肉体を通しての作品体験となるのだな、ということを実感した日々だったように思う。

役者は、「演じたい」→自分ではないものになりたい。自分であることを忘れたい。
という欲求と同時に、「他人の視線にさらされたい」→自分自身であることを認められたい。
という二つの欲求に引き裂かれている存在。
自分自身の存在から逃げたくて逃げたくて仕方がない、なぜなら自分自身がどうしようもなく、
不潔だったり、ずるかったり、醜かったりする、モンスターだと感じるのである。
にもかかわらず、そんな自分をさらし者にしたい。
自分自身を罰したいのかもしれない。
そんな自分を、誰か認めてくれないか・・・という女々しい願望であるのかもしれない。
ただ、自分自身として人前になんて出られるわけがない、と思っているので、
私はこのカラダを、演出家に差し出すのである。
これは、レイプ願望にさえ似ているかもしれない。

レイプする方は、レイプされる側がまさかレイプされたいと望んでいるなどとは思わないだろう。
また、レイプされたいと思っている相手とはレイプそのものが成立しない。
私のひそかな願望・・・この望みがばれることなく達成され、
その瞬間に、願望を達成したのは実はこちらのほうであり、レイプした側はそれが達成された瞬間に、
実は相手に利用されていただけであったと気が付く・・・

演出家の望む役を演じながら、
演出家の思いの及ばない、生々しく生きている、私の、このどうしようもない女である部分を、
観客の前にさらしてみたい。
自分であることを忘れようという努力の先に、
どうしようもなく、自分自身であることをさらしてみたい。

その為に、日々人の「カラダ」について探求し、
人との「関係」について探求し、
この「世界」について探求しなければならない。

今回見ていて感じたことは、
果たして、本当に役者であることの覚悟ができて人前にさらされているのだろうか、
ということ。
利賀演劇人コンクール(演出家コンクール)経験団体ばかりなので、
演出家たちのほうが、晒されるという経験があり、覚悟があるように思う。
しかしながら、「演劇」は「映像」のように編集されないので、
結局は、観客の前にたち現れてくるのは最終的に役者のカラダなのである。
それぞれの演出家が望む「カラダ」の違いがはっきりしていて非常に興味深かった。
が、演出家の望む「カラダ」を超える役者はごく少数だったように思う。
それぞれの演出家が実現したい世界の中で、
カラダを酷使し、残酷に自分自身を見つめ、演出家を見返せる、
そんな役者が見たかった。
演出家に「教えてもらいたい」という態度では、あまりに足りない・・・

次回はそれぞれのカンパニーについての感想など書いてみたいと思います。

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